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  夕刊フジ
■No.1 テロ
■No.2 家族
■No.3 お金
■No.4 炭素菌新
■No.5 失業の女
■No.6 ストックパワー
■No.7 コミサ
■No.8 即興
■No.9 ドライバー
■No.10 西村
■No.11 キシンジャ
■No.12 エレベーター
■No.13 即興劇
■No.14 怒り
■No.15 散歩
■No.16 パワー
■No.17 飛び級
■No.18 NLP
■No.19 失敗
■No.20 ベッキ2
■No.21 フィードバック
■No.22 ゴキブリ


 
夕刊フジ
私は、2001年の8月後半、本の宣伝のため、日本に一時帰国した。確か、2001年の熱い夏の日に、私が滞在していた世田谷の両親宅に、夕刊フジの谷内さんに来ていただき、取材を受けて意気投合。「稼ぐ人、安い人、余る人」を、夕刊フジで紹介してもらった上、その縁で、夕刊フジに連載することになった。私は、例のごとく軽い気持ちで引き受けたが、例のごとく始めてみると結構面白かった。当初、テーマは、「シリコンバレー、ハッピーライフ」といったものを想定していたが、連載が始まる前に、同時多発テロが米国で発生。日本ではリストラの嵐。どう考えても気安くハッピーという感じではなくなった。そのことを谷内さんにメールで伝えると、じゃあ、紙面上のコーナーの名前を「キャメルヤマモトのビジネスマン大恐怖時代」というタイトルにしましょうと、いうことになった。私は、米国にいて、夕刊フジの紙面そのものをみることはなかったが、家族、知り合いによると、私の記事は女性が買いにくいような紙面の中に混じって、例えば、小沢一郎さんのいつもの感じの強めの論調と並んで掲載されていたらしい(小沢一郎さんとは、実は、外務官僚時代、小沢さんが幹事長として自民党を実質的にリードしていたころ、駐日シリア大使が、どうしても、小沢さんに会いたいといったので、無理に会ってもらったことがある。私は、アラビア語の通訳兼、案内役兼、ノートテ-カーてな感じで。小沢さんへの働きかけはシリア大使にとって何の効果もうまなかった。そのおかげで私は癒着問題とかにまきこまれずにすんだ?)。
毎回のテーマは、私にまかされていたが、実は、谷内さんから、こんなのでかけませんかという依頼を受けた。おそらくそのおかげで、私の偏向した趣味のたこツボにはまらずに、バラエティが保てたと思う。
さて、記事くらい、軽い軽いとたかをくくっていたが、始めの内は谷内さんからもっと、題材を絞るようにと何度か助言をいただいて、書き直した。コンサルタントになってからは文章よりも、しゃべったり、チャートをかくことが多く、文章をかくと、どうしても外交官時代に、少ないスペースにできるだけコンデンスした分析をつめこむ、という癖が出る。だから1000字くらいでも、相当の中身をつめこむ。でも、これじゃ、仕事の帰り、地下鉄とかで読んでくれるサラリーマンの方にうけるはずがない。そのうち、私は、1000字の記事には、登場人物一人、テーマ一つ、メッセージ一つという定石がわかってきた。そして、しだいに、肩の力がぬけて、内容も面白くなってきた(と、後から、夕刊フジ以外で、メディア関係の方からいわれた。結構、しり上がりに評判もよくなったとか)。そう、私は、2001年10月から2002年3月までの連載で、もの書きとして、ちょっと成長したのだ。すべて谷内さんと読者のおかげだ。
ちなみに、この乗りで、次の本の原稿はおわって、出版社の編集の方にみてもらっているところだ。ここの記事とダブルところも少しはいっているけど、もうちょっとハウツものぽくして。
この欄の見出しは、すべて、夕刊フジの側でつけてくれたものを使わせてもらった。あと、編集のプロが、私の原稿に手をいれてくれているが、てもとに、その修正ずみの電磁媒体文書(すごい日本語)がないので、私の原文をここでは使っている。もっとも、その原文も、谷内さんからのコメントにすなおに従った内容になっている。




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