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● フィードバックを受け止める方法:批判と思わずに
(夕刊フジ掲載:2002年3月7日)
米国の研修でフィードバックについて議論した。例えば、カーナビはフィードバックの名人だ。私は、もう誰も使っていないような古いナビを使っているが、このナビは、私がいくらへまな運転をしても決して私を馬鹿にしたり非難しない。へまの後の状況に応じて、ひたすら新しいガイドを出し続ける。何度でも安心して気持ちよく間違えることができる。「ナビはいつも私のためだけを思って指示をだしてくれる」という絶対的な信頼感が私の中に生まれる。人間が人間に行なうフィードバックだとこうはいかない。家内や子供が、私に気に入らないことをやったら、私はまず怒る。怒ったままフィードバックを出せば、それは決して相手のためのフィードバックではない。あくまで私の怒りを示すためのものだ。つまり私の為のフィードバックだ。そんな怒りは相手にもみえみえだから、抵抗に合う。他方、じゃあ、ほめていればいいか、というとそうじゃない。「すごいね」とかいわれると、多少いい気持ちがするかもしれないが、役にはたたない。カーナビのような「役に立つメッセージ」が必要である。相手のためという「善意」と役に立つ「メッセージ性」の二つが必要だ。
フィードバックの受け方も学んだ。「防衛的受け方」をする人が多い。何か自分のやった仕事について、上司から「あそこがちょっと問題だな」とかいわれると、しきりに自分の仕事の正しさやなぜそれができないかといった言い訳をする人が多い。研修で習ったのは「成長のための受けとめ方」だ。例えば、自分のやったことの問題点を誰かが指摘したら、それを批判と受け止めるのでなくて、「自分の成長に役立つ中立的なフィードバックだ」と受け止める。そして、フィードバックの内容について、こちらも好奇心をもってどんどん質問していく(「その点もうちょっと説明してもらえますか?」)。防衛的にでなく、自分の成長のためにフィードバックの内容をもっと知りたいと思って質問すると、仮に相手が私を批判・攻撃しようとしていたとしても、批判の気持ちは薄らいで、友好的な助言をしてくれるようになるそうだ。私はふむふむと思いつつ、家に帰った。私の家族は全員結構激しくて、所中言い合いをするのだが、その日も私があることで批判された。思わず自己弁明に努めてしまった。「成長のためのフィードバックと受けとめる術」はどこにいっちゃったのかな。 |
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