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● 米国のアラブ系タクシードライバー:テロ前から嫌がらせ多く
先週日本に出張しサンフランシスコ空港までリムジンにのった。ドライバーがアブダッラーという名前だったので「アラビア語できるか」と久しぶりにアラビア語ではなしかけた。そのせいか「暗い話」がはずんだ。彼はジョルダン人で米国にきて10年。会社との契約で、稼ぎの65%を自分がとり残り35%を会社に渡すという。結構いい条件だね、と私がいうと、ドライバーはまってましたとばかり「おれは会社に毎日、フィーを100ドルはらう。ガソリン代等の経費も自分がすべて払う。おれが休んでも、車のキープ代として毎日100ドル会社に払い続ける。オーナーはユダヤ人でご存知の通り抜け目がない。どんな景気でも彼らは損をしない」とたたみかけてきた(日本のタクシーだと運転手の取分が60%、ただしフィーとかはないのが普通)。テロ事件の後どう、と私がきくと、急に重い表情になって、「第2次大戦のときの在米日系人みたいだよ」といって、次のような話をした。テロ事件前からも、サンフランシスコ周辺ではアラブ系住民に対するいやがらせが結構あった。理由は、サンフランシスコ周辺の酒の小売店のオーナーがほとんどアラブ系とイスラム系だからだ、という。米国人の下層階級は、飲酒のせいで問題にまきこまれると、酒を売るアラブ人が悪いと変な理屈をこしらえるのだそうだ。彼も、一時、イスラムの掟を破って酒の商売に手を出したが暴行にあってすぐやめて運転手に戻ったという。テロ事件後は、アラブ系に対するいやがらせの度が増し虐待に近くなった。あるときは、彼の顔をどこかでみた若い白人達が数台の車で彼の車をおいかけてきた。彼は高速道路ににげこみ、スピード違反をしてわざと警官につかまった。そのおかげでやっと逃げることができた。最後に彼は、「おれが米国にきたのは、警察国家的な中近東の圧制から自由と安全を求めてだ。こうなると米国にいる意味がなくなった。子供がシドニーで働いているから、そこに移ろうと思う。景気も厳しいが、ご飯を食べるだけなら神のご加護があるから大丈夫だ。でも、「虐待」と「冷たい仕打ち」はもう耐えられないよ」といった。自国でも安全がなく、外国でも危険な目にあいながらたくましく生き抜こうとするアブドッラーに、私は、通常の倍のチップをあげた。 |
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