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新上海の風:第八回
  倉庫の中のアート

反日運動の嵐がおさまった静けさをお伝えする意味で、今回は、私と私の周辺の心の余裕を現す芸術的な話をしてみたい。
5月21日土曜日、久しぶりに、上海で週末をすごす。上海、シンセン、香港、マニラ、そして東京に、それぞれ仕事がちょっとずつあって、相互に関係なく動いているからときに身動きがとれなくなる。週末は、朝から心の余裕をもちたいが、そうなっていないのは、上海や中国のせいじゃなくて、私自身の問題だ。とにかく移動をつづけていると、物理学的な仕事(F=aX?)をした気になるが、ビジネス的にはあまり成果をだしていなくて、効率は決してよくない。私のポジションのとりかたにどこか無理があるのかもしれない。ともかく、あれこれやっていて気づいてみると午後3時。
子供がおやつをほしくなるように、突如、「せっかくだからどこかにいこう」と思い立つ。動きなれているせいか、僕の動きは早い。いや、いつもどおり、目的意識をはっきりさせず単に動いていることを続けているだけか。とにかく、気づいたらタクシーにのっていた。タクシーにのって、なぜ、僕はタクシーにのっているのか、と自問自答した。そういえば…
シリコンバレーにいたとき、あるアート関係の人が主催する「創造力の開発」系のワークショップにでていて、そのとき、セルフ・エクスカーションという技を習った。日本語にすれば「自分で遠足にいく」というたわいもないお遊戯だ。確か、アイデアの出所は英国人の才色兼備女性アーティストのキャメロン。一週間に一度くらいは、仕事や家族や友人などすべてから離れて、自分だけの時間をつくり、自分だけで、どこかいきたいところにいきましょう、子供の遠足のようにという提案だ。面白そうと思うが、なかなか実行されない代表みたいなアイデアだろう。でも、僕は、コツをみつけた。大人が子供のような遠足を、しかも、集団でなくて、自分だけでやるとなるためのコツだ(すみません、今回の話は、ここから最後のおちまで、ビジネスとまったく関係ありません)。
僕がみつけたコツは、なるべくアバウトな行き先を設定して、冒険心をくすぐるということだ。今回は、しばらく前に、どこかで読んだ、「倉庫を作り変えたアート空間」なる場所を選んだ。もちろん、それは、上海である。発作的にタクシーにのる前に、その雑誌の切り抜きでもあればと書棚をあさったが、それらしきものはない。
アパートの管理人のところにいって、中国語で単語をならべて、「倉庫」「芸術」「絵画」「川のそば」というが、相手はどうも理解できなかったようだ。でも地図をだしてきて、僕が漠然とおもっているその場所とはあきらかに見当違いのところに印をつけてくれた。親切だけど役立たず。
そこで、とにかく外にでて、タクシーを捜した。運良く、一台がとまり、助手席からスリムで背の高い黒人がおりてきた。僕は、すかさず、助手席にのり、「倉庫」「芸術」「絵画」「川」のあるとこにいってくれという。愛想のわるい運転手だったら乗車拒否しても当然のリクエストだが、運良く、サービス精神旺盛な運転手にあたって、車はとにかく走りだした。「お客さん、そのそばにいけば、そこだってわかりますよね」といわれて、僕は、「もちろんわかるよ」と嘘をつかざるを得なかった。わからないといえば、おろされることは目にみえていた。もちろん、そこにいったこともないし、並べたてた単語以上のイメージもない。電話番号も、地名も、どの方面かも、まったく手がかりはない。
そもそも、僕の記憶違いかもしれない。ウオーターフロントの倉庫をつくりかえて何かにするなんていうのは、世界中でいまはやりかもしれない。いろんなところをうろうろしている僕が、上海以外のどこか別の場所でその記事をよんで勝手に上海のどこかとおもっても不思議じゃない。
信号でとまっていると、運転手は、携帯で、だれかに聞いている。「倉庫」「芸術」「絵画」「川」というキーワードを話している。上海語だからそれ以外の単語はまったくわからない。どうも、電話の相手は知らないようだ。少し先にいって、また信号でとまると、今度は、別のタクシーの運転手に、同じ単語をくりかえして、きいている。やっぱり知らない。でも、とにかく走った。なぜか、結構いい方向にすすんでいる感じがした。僕も運転手もおめでたいくらい楽観的な人たちだ。きっと。
そのうち、都会の川特有のヘドロ的なにおいがしてきた。倉庫もある。でも、芸術の香りはしてこない。
さらに10分くらい走る。運転手はそこで車をわざわざとめて、歩きだした。道端に椅子をおいてすわっている、地元の保安官みたいな人に、また同じ単語を並べてきいているようだ。保安官も、やはりソレを知らない。さすがに僕もあきらめかけて、「別にソコにつかなくてもいいから、もう少し走って」と頼む。Mei Quanxi(没関係)という、自己の責任を回避するのにおあつらえ向きの表現をつかいながら(中国も途上国で、エジプトなどとおなじく、責任回避的な言語表現にはことかかない。エジプトならさしづめ、マア・レイシュというところだ)。
でも、運転手は、気合がはいっていて、とにかく探そうと意欲満々。奇妙な気分だ(周囲を振り回す馬鹿トノになった気分で、ちょっと申し訳ない気みたいな)。そのうち、あるマンションの前でとまって、そこの管理人にきいている。えっ、どうも、その管理人が、その先を少しいって、左に曲がるところだといっているみたい。運転手は得意げな様子を何食わぬ表情の下にしのばせながら、もどってきて、すぐ発進。2,3分で、Moganshan-lu(
莫干山路50号についた。そういえば、タクシーにのる前に、雑誌をぱらぱらみていたとき、この「住所」をみた。そこでクリエイティブなんたらかんたらという女性アーティストのスタディオの紹介があった。でも、ぼくは、その記事をみたとき、ソレだとはおもわなかった。でもソレだった。
はいってみると、まさに倉庫の集積地で、そこが、スタディオと画廊の集積に帰られている。僕のいい加減な記憶は、以外に信頼できる。
さっそくはいってみた。思いのほかの収穫。司馬青峰(かねへん)という画家が片言の英語で、欧米系の人と話している。僕が、片言の中国語まじりの英語で乱入。欧米系の人はおそれをなしていなくなり、司馬さんと僕で、しばらくお話した。彼は、40歳、華東師範大学の芸術科卒業らしい。一見すると司馬さんというより井上ひさしみたいだ。司馬さんのバイブレーションに刺激されて、僕もあやしげな芸術論をくりだす。といっても、そこまで中国語ができないから、漢字力を最大限に活用した筆談にもちこむ。司馬さんは、僕のことをアーティストだと思ったといった。いい加減な風貌はお互いさまだ。いや、ほめ言葉かな。彼は油絵だが、年を重ねたいま、東洋画に興味をもっているといって、東山魁夷という名前をかいて、「この人は、中国の画家の範寛と通じるところがある」といった(僕は、範寛という画家のことを知らない)。よせばいいのに、「雪舟」とか、「平山郁夫」とか、小学生並の知識を動員してしまった。司馬さんは、ますます乗ってきて、話しこむ。司馬さんがいたのは、彼のアトリエ兼画廊だ。大きな倉庫を、5メートルかける15メートルくらいの部屋にきって、彼のようなアーティストがそこで仕事しながら自分の作品を展示している。コンクリート作りで、何もないがらんどう。ここに毎日きて、絵をかいている。もっと広いところに移りたいとしきりにいっていた。この場所を借りるのが、つきに4000元(5万円ちょっと)だから安くはない。彼みたいな人が、この倉庫集積に、たくさんいる。
アイデアが浮かぶたびに、漢字をかいて会話するのだが、僕の漢字力より、彼の方が上だ。さすが中国人。僕の筆談力と漢字力は、すぐに限界にぶちあたった。そこで、再見(saijian)といって、別の部屋にいく。僕は単純に驚いた。そこにある絵や彫刻が新鮮だ。その情景を描く筆力が僕にはないから、お伝えできないのが残念だ。僕は、ルーブルにいったときより、強いインパクトをうけた。(遠足で何かに出会うと、その印象が肥大化するのは大人になってもかわらない。偶然みつけると、バイアスがかかっていて、何でもすごいといいたくなっているのかもしれない。フランスにいけば、ルーブルには「行かされる」から偶然はおきないのだろうか)。
この元倉庫のアトリエ集積の中から、お気に入りの画家を数人みつけて、毎月の所場代くらいなら援助して、パトロン気分を味わいたい、とふと思った。司馬さんのところに戻ってオファーしようか。おっとあぶない、遠足のせいで気持ちが大きくなっている。大人の子供は始末が悪い。
上海に行く機会があったら、Mo-gan-shan-lu(フランス語みたいな響きだ)まで、遠足に行かれることをお勧めします。



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