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新上海の風:第十一回
  「企業=教育機関」説

中国その他、海外で、日本企業が直面する一つの課題は、どうやっていいローカル人材をひきつけ、そのレベルをアップし、しかも逃げられないようにするかである。そのために、私は、クライエント企業の評価や報酬制度の構築などをお手伝いしているわけだが、あるとき、上海の風にあたりながらこんなことを考え始めた。暑い中で、すごく硬い話をするのはやや気がひけるが、考え出したらとまらないのでお許しいただきたい。
人でも企業でも、自分に魅力がないと、お金で引き寄せるしかなくなる。人や企業の魅力は、その人の考え方や行動や価値観と分かちがたく結びついている。だから、独自の考え、行動、価値観が伝わっていないというのは、結局、自分の魅力が伝わっていないということだ。その魅力がどれくらい魅力的かはともかく、自分や自社の魅力を伝えないままでは、愛しい人がきてくれるはずもない。また、せっかくきてくれても、仕事をする中で、魅力を伝えることができなければ、お金でしかその人材をひきとめられない。独自の考え・行動・価値観からにじみ出る魅力という魔力を使えないと、金の切れ目は縁の切れ目を、海外で実演することになってしまう。国内でも、この原則は変わらないのだが、問題は、海外では、そういう独自の魅力とか本質的なところがなかなか伝わらないことにある。日本国内も、一つのローカルだから、そう問題は異ならない。特に、新しい世代は、われわれからみれば、たまたまわれわれと似た日本語を話す外国人である。
では、自分の魅力をどうやって相手に伝えることができるか。とここまで考えて、私は、ちょっとジャンプして、「企業Xの強味・価値を、海外の人材が体得していくための教育プログラムを考えるべきではないか」と思い始めた。ふと、このサイトを主宰している寺島さんの顔も浮かんできた(研修というテーマから連想がはたらいてである)。
しかし、ここで私が考だした「教育プログラム」とは、研修プログラムのことではない。企業における活動の一切合切を、教育的にとらえなおしたものである。海外の人々に対して、企業Xの「強味・価値」を「教育」するという視点で、企業活動をとらえなおしてゆく。日頃の企業活動(仕事)が、強味・価値を刷り込む教育活動としても役立つような新しい視点と工夫を提案してゆく。
いうまでもなく、企業活動とは、第一義的には、製品やサービスを生み出す「生産活動」である。ここでのテーマは、その企業活動が、生産活動として機能しながら、同時に、活動に従事する人々をして、学ばせ成長させる「教育活動」としても機能するように工夫することである。企業活動一粒で二粒分おいしくするような工夫に挑戦する。
そんなうまい話があるかと思うかたもいるだろうが、そのうまい話は、すでに、日本企業が得意とする現場教育としてのOJT (On the job training)にその萌芽が現れている。OJTとは、改めていうまでもなく、企業活動の只中において教育することである。筆者がここで考えている「企業活動、即、教育」構想は、簡単にいえば、このOJTを飛躍的にバージョンアップすることだ。さて、教育的観点から、企業活動を見直すきっかけとして、大学などの教育機関と比較しつつ、企業を教育機関として読み解いてみよう。やや牽強付会な当てはめになっていることは承知の上で、企業活動に教育的な光をあててみたい。
強引であっても、この比較に意味があると考えるのには、いささかの根拠がある。それは、企業活動と教育活動が、ともに、「情報転写」活動であるという点で共通していることである。情報転写というコンセプトは、東京大学の藤本教授のものを拝借したが、これを少しパラフレーズして説明しよう。
企業の生産活動は、すべて、諸「情報」が諸「媒体」に転写されていく「プロセス」としてみることができる。いわゆる情報産業はもちろん、製造業も、ものの構想が設計図になり、その設計図が、具体的な素材という媒体において表現されるプロセスに他ならない。それをつくろうという開発者の頭という媒体に生じた情報が、設計者、製造者、マーケッター、営業などさまざまな人の頭やそれぞれの機能にふさわしい物質的な媒体(設計者ならば紙やCAD、製造者なら材料、マーケッターなら広告媒体、営業なら営業用のプレゼや営業言語)を通じて連結されていくことにほかならない。そして最後に、顧客の頭脳や身体や感覚という媒体にその情報が転写される。業務プロセスがうまく作動すれば、それが生み出すモノやサービスを、顧客が価値だと受け止め感動する。
他方、教育活動は、いうまでもなく、先生(あるいは教科書の著者)から生徒への情報転写活動である。企業の価値生産活動と教育活動は、ともに、かなり複雑な情報転写活動であり、共通性があっても不思議ではない。どういう共通性があるか、具体的にみていこう。
まず、大学などの教育機関Uで、ある期間を費やしてそこで教えていることがら全体の集合を考えてみよう(A(U) と略記)。企業Xでいえば、ある期間に行う企業活動全体の集合が対応する。
次に、通常の大学は、A(U)を、専門性という切り口で、さまざまな「学科」に振り分ける。それぞれの学科において、ある期間を費やして教えていることがら全体の集合を考えてみよう(A(Fn)と略記)。企業Xにおいても、同様に、A(X)を、専門性の切り口によって、さまざまな機能(職能)部門にふりわけることができる。研究開発部門、製造部門、営業部門、サービス部門、経営企画部門、財務部門、IT部門、人事部門などの職能部門であり、それぞれの部門での活動全体(A(Dn)と略記)が、学部の活動全体に対応する。
さらに、ある学部の学期は、企業でいえば四半期とか、半期とか、年度に相当する。第m期における学部nのすべての活動を考えてみよう。ある学部は、1学期の教育プログラムをもつ(米国の学校ならシラバスという形で第一回目の授業ではこれこれしかじか、第二回目は、第三回目は、という形で、毎回の交誼内容などが、相当詳細に記述されている)。企業においても、それぞれの機能部に年間計画がある。それが四半期計画や、月間計画にオトコしこまれることも多いだろう。また、より詳細なアクションププランが、バイウイークリーやウイクリーでつくられることもあるだろう。
そして、大学においても、企業においても、そういうふうに、期間にわけて習得したことをあわせて、A(Fn)やA(Dn)が習得されることになる。
さらに、個人が何を学びたいかという点は、どの学部を選択するかなどに現れる。企業においても、最近の従業員(候補)は、どういう分野を専門にしたいか希望を表明することが増えているだろう。もちろん、伝統的な日本企業のように、文系、理系くらいの分け方で、事務系と技術系とだけわけて、いずれにしても、全体を学ぶという生き方も選択しの中には残るだろう。ただ、海外においては、すくなくとも、入り口から中堅くらいまでは、営業系、財務系、人事系、生産系、開発系、などは、より明確に分化される。
ただし同じ学部を選んでも、その中で、実際、どの科目を選ぶかなどの選択と組み合わせの自由がある。企業の場合も、どの部門に配属になっても、その中で、何をするかには幅があるだろう。本人がどこまで選べるか、上司がどこまで割り当てるかは、いろいろあろうが、傾向としては、本人の意向を尊重する方向が強まっているだろう。
さて、以上のように教育機関になぞらえて、企業を解剖すると、企業組織・活動には、教育的機能を果たすことに必要な基本的要素が組み込まれていることがわかる。
ところがここで話はおわらない。情報転写活動といっても、どういう情報を扱っているかで、その転写活動(=教育活動)にも違いがでてくるはずである。おそらく、上記において、やや強引に企業活動を教育活動にあてはめたとき、「いや、企業にはもっとXXXやYYYがある」と感じた人もいるのではないか。特に、ダイナミックな企業や事業や現場に身をおいているかたは、そういう感じをもたれるだろう(逆に、大学と同じ、その通りと思うかたは、官僚的な組織にいるのだろう)。実は、この差異感覚は、企業が扱う情報と、教育機関が扱う情報の、性質の違いに起因している。企業活動で扱う「情報の性質」を正確にとらえておくことが、企業における教育の効果をあげる上で必須と考える。
大雑把にいえば、企業は、学校と比べて、よくいえばダイナミックな組織だし、悪くいえば、弱肉強肉のジャングルの世界である。何が、こういうダイナミズムを生み出しているのか?ダイナミックな企業組織を念頭において、教育機関との差異について、解剖すると次のような要素が指摘できるだろう。長くなったので続きは次回に回そう。



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