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日、米、英いずれの国でも、10兆円を優に超える「問題」がある。
企業年金の積み立て不足額だ。
日本のほとんどの企業年金は、退職した社員がある年齢以上になったら、毎年決まった額の年金を死ぬまで給付する制度になっている。将来、給付される額が確定しているという意味で、「確定給付型」年金と呼ばれている。
もともと多くの年金は積み立て不足だったのだが、加えて、近年の運用難と金利低下のダブルパンチを受けて、足元がふらつきだした。
揺らぐ足元から、さまざまなことが見えてくる。
企業年金問題は財務的な数値の問題として語られることが多いが、問題の本質はもっと深い。企業と従業員の「関係」が問われているのだ。企業の側は決して悪意ではなかったが、従業員に対して不確定な将来のことを約束しすぎた。一方の従業員の側も、企業に依存しすぎていた。いわば、べたべたの親子のような関係になっていた。
だが、いまや「年老いた親」にいつまでも頼ってはいられない時代だ。企業年金を満額もらえるかどうかだけではない。年老いた親と同様、自分が勤めている会社は、いつまでも元気とは限らない。
会社が倒産したら、同じ給与をもらえる仕事を見つけられるだろうか。今まで付きあってきた人たちは、それまでのように付きあってくれるだろうか……。
最近、仕事で上海に長く滞在するようになり、私たちも会社とのべたべたの関係を見直すときが来ている、との思いを強くしている。
上海の人たちは、一つの会社と運命をともにする終身雇用型の生き方はリスクが大きすぎると考えている。だから、もっとリスクを分散する手をあれこれ打っている。
合わない上司がきたら、さっさと辞めて別のところで食べていけるような技術を磨く。夫がクビになってもいいように妻も働く。子どもが複数いたら、異なる国に留学させる。できたら親類の誰かを外国人と結婚させる、といった具合だ。
私たちもそれにならって、会社に頼れなくなる事態に備えて、「投資」をしてみたらどうだろうか。
「投資」というと、利回りを見込んで賃貸用のマンションを買う、といった不動産投資を思い浮かべる人も多いだろう。だが、多額の原資が必要だし、固定資産税や相続税でがっぽりもっていかれる。もっと手っ取り早い、「自分への投資」を考えたい。
といっても、パソコン教室や英会話学校に通うことではない。一例を挙げれば、日ごろの同僚や顧客との何げない付きあいも、会社が倒産したり、会社を辞めて転職したりしても、それっきりにならずに、「持ち運べる人間関係」を築くことまで意識すれば、それは立派な「自分への投資」になる。
折しも、転職しても「持ち運び」ができない制度が一般的だった日本の企業年金も、01年に施行された確定拠出年金(日本版401k)法で、持ち運びが可能な制度への道が開かれた。企業年金の行き詰まりからの「連想」は、どこまでも広がる。 |
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