TOP > キャメルヤマモトの紹介


 
昭和生まれ。年齢加齢は、髪を染めたりしながら停止中。
東京大学法学部卒業。在エジプトアメリカ大学アラビア語学科修了(エジプト人のガールフレンドと、あるいた埃にまみれて、車の騒音につつまれたカイロの繁華街を歩いた。楽しかったな)

オックスフォ−ド大学セントアントニカレッジ・シニアアソシエイトメンバ−(中東政治。イラン人の先生、ハミード・エナエットに哲学で鍛えられた。でもその先生、若くして急逝)。リタイアメント後はやっぱりオックスフォードかな。

ヘイコンサルティング時代、オフィスの裏の青山学院大学大学院で、修士号取得(異文化コミュニケ−ション)。論文のタイトルはCreating Cultural Synergy in Intercultural Interface- Use of Paradox of Cultural Value Orientations- 異文化インタフェイスにおける文化的シナジー創造-文化的価値方向性パラドックスの活用― すごく高度な中身。今よむと自分でも何がかいてあるかよくわからない。いつかホームページにのせようかな。
さて、ここで学歴は打ち止め。稼がなくっちゃ。

(すこし戻って)、外務省では、対中東政策立案、国際情勢分析、危機管理等を担当+家内(啓子)をゲット。激務に絶えられなくて、1990年夏、突如、脱出。いったん復帰するも、同年12月31日付け(つまり湾岸戦争前夜)で、めでたく退職。
この間のドラマティックでだらしないストーリーは、本ホームページ「徒然草」に掲載。

そして無謀にも、その存在さえ知らなかった、外資系の人事専門のコンサルティング会社(ヘイ・コンサルティング・グル−プ)に転職。田中社長、川上真史コンサルタント等のおかげで、そして暖かいクライエントの方々のおかげで無事、コンサルタントでたべていけるようになった。ヘイ・グループでは人事制度設計関連のコンサルティングを担当。今でも、職務評価の点数(15%刻みで並ぶ)をときおり夢にみる。ああいうの大好き。実は。

その後、1996年に、もっと戦略的なことやりたいと思っていたら、リーバイスの増田さんがワイアットの高橋俊介さん(当時社長)を紹介してくれて、ワトソンワイアットに入社。ワイアットにはいる前に、戦略系のコンサルタンティング企業2社とIT系コンサルティング企業2社に応募したけど見事に断られたり音沙汰なし。いかなくてよかった。

ワイアット入社後は、人材マネジメント全般にかかわるコンサルティングに従事。しばらくは、グローバル人材マネジメントに関心もっていたけど、面白いプロジェクトが一つしかなかったので、自然死。ちょっと疲れたので、ここで中略。


2000年3月から2002年4月末まで米国シリコンバレー在住。最高。

その間、2001年夏、日本で、「稼ぐ人、安い人、余る人」をキャメルヤマモトの名前で出版。大当たり。第二弾は、原稿できているけど、出し方検討中(でないかも。でも、このホームページで、部分的にどんどん出していく予定。出版されなくなれば、ここで全部だしちゃおう)。この2年間、今までで最もいろんなこと考えた。
このままアタマにいれておくと体によくないから、それを出そう、と思って、このHPをつくることにしたわけです。

今は、ワイアットに無事戻って、コンサルティングやってます。ものを書くのも、時折やってます(これはキャメルヤマモトの名前で)。

講演の機会も増えました。相変わらず、実はシャイですけど。面白い人と会う機会だと思って、薬を飲むみたいにやってます。

あと、10台の子供の教育で何かやりたいな、と依然思っていて、少しずつアクションとり始めてます。

それから、次の本でたら、それをきっかけに、シリコンバレー体験お勉強ツアーやろうと思っています。関心あるかたどうぞ。あっちでできた友人のDon Steinyや、Mark Nicolsonその他の人が協力してくれるはず。


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